奉仕と国際友誼  盛岡ロータリークラブ発会式

 盛岡ロータリークラブの発会式は、1939年 (昭和14年) 2月23日、県公会堂談話室において開かれた。真新しいテーブルクロスの上に花を飾った細長いテーブルを囲んで、来賓およびチャーターメンバーが席に着いた。午後0時30分、定刻となり、まず板井賛次郎が立って、盛岡クラブ発会までの経過を説明した。ついで定款細則を制定し、毎週木曜日に公会堂で例会を開くこと、事務所を岩手殖産銀行内におくことが承認され、役員選挙の結果、板井賛次郎(会長)、中岡孫一郎(副会長)、池野権治(幹事)、伊東四郎(会計)、佐々木休次郎(会場監督) の5名が選出され、その外に板倉晴一が加わり、6名で理事会を構成することとなった。
そしてこのあと、新任会長のあいさつにひき続いて仙台クラブの金森太郎、東京ガバナー事務所幹事の芝染太郎、およびスポンサークラブを代表して一力次郎河北新報社長の3氏が、祝辞や感想をのべ、午後3時過ぎ式典はとどこおりなく終了した。
翌24日付 「新岩手日報」 (現・岩手日報) は、この発会式の模様を写真入りでくわしく報道した。
発会式新聞記事
 盛岡ロータリー倶楽部発会式は、二十三日午後零時半より県公会堂談話室で挙行、会員の顔振れは
本宿清太郎、砂子田泰三郎、板井賛次郎、板倉晴一、伊東四郎、村井源一、大熊貫二、佐々木休次郎、佐藤三千三郎、渡辺栄次郎、神馬喜助緒氏、
(池野権治、川村英三、中岡孫一郎、田島貞雄四氏欠席)
来賓として、東京芝染太郎、仙台一力河北社長、金森東北振興副総裁、小林軍太郎、伊沢平勝、三田淳の諸氏参列
まず板井殖産頭取より盛岡倶楽部発会までの経過を述べ定款を制定、この倶楽部は一九〇五年アメリカに誕生し、「奉仕と国際友誼」 を目標ととして発展し、今日では全世界に国際ロータリーの形成をなしている、役員推薦の結果
会長板井賛次郎、副会長中岡孫一郎、幹事池野権治、会計伊東四郎、会場監督佐々木休次郎の諸氏に決定、今後毎週木曜日に公会堂に例会を開き、世界的友誼、了解、好意及び国際平和の助長を図るといふ、所謂ロータリー精神で会合を持つこととなった、事務所を殖銀内と決定し来賓の祝辞などあって午後三時過ぎ散会した。

 この新聞記事は、盛岡ロータリークラブの発会式の様子を記録した貴重な資料である。とくにロータリー精神を 「世界的友誼、了解、好意及び国際平和の助長を図る」 ものとして世間一般にはじめて紹介した点は、当時の世相と対照的で興味深い。また、チャーターメンバーの内の4人が発会式を欠席したというのも、どういう事情があったのか、注目を引く部分である。

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