佐藤武夫ガバナーの誕生


佐藤PG
佐藤武夫
『1960−61年年次報告書』 で安彦要会長は、「創立20周年の歴史を持ち、ベテランクラブといわれる盛岡クラブからぜひガバナーを出して真価を発揮したい。特に東北が1区として分かれた今日では尚更のことだと思っていたが、最近この念願が遠からず実現する見通しがついた。選出クラブはもちろんのこと、県内クラブ挙げて協力援助しガバナーの任務を果たして頂けるよう配慮したいものだ。」 との呼びかけをおこなった。
そして南部利英会長のもと、ロータリーの新年度がはじまってまもなく、佐藤武夫の次期ガバナー・ノミニー就任の賛否を郵便投票で求められ、7月29日の例会で推薦を決定。9月16日の例会において郵便投票の結果、次期ガバナー・ノミニーに佐藤武夫が決定したとの発表があった。
また、9月27日から東京で開催されたRI 第 350・352・355・360 地区連合年次大会において、翌年の地区年次大会が盛岡で当クラブをスポンサーとして開催されるとの発表があった。
こうして盛岡ロータリークラブは、創立20周年を経て、あいつぐ子クラブの誕生とあわせて内外ともに拡充され、各種の親睦行事もにぎやかさを増した。同年12月23日杜陵クラブで催されたクリスマスパーティーに130名が参加し、翌年8月20日三陸海岸への家族旅行会の時には140名が参加して、盛岡駅からロータリー列車が走るという盛況であった。
なお、木曜日だった例会日が1961年 (昭和36年) 4月より金曜日に変更された。また、佐藤武夫ガバナー・ノミニーは、同年4月12日、レークプラシッドにおけるガバナー講習会のため盛岡を出発。4月15日羽田発の飛行機で渡米し、5月3日レークプラシッド、11日ニューヨークと研修をつんで、20日シアトルから帰路につき、22日無事羽田にもどった。おりしも東京は28日から始まるRI 国際大会の準備が急ピッチで進められているときであった。



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