姉妹クラブの誕生


姉妹クラブ協定締結書 姉妹クラブの締結の話は、かつて1968−69年度の交換学生としてクローデット・パルカ嬢が盛岡にやってきたとき、パルカ嬢の出身地であるナイアガラフォールズ・ロータリークラブとのあいだで進められたことがある。しかし、話がかなり煮詰まった段階でどういうわけか立ち消えになり、いつしか交流も疎遠になった。
そして姉妹クラブの話題がまったく忘れられた1983年 (昭和58年) 秋、会員黒澤和雄から、米国インディアナ州 リッチモンド市のリッチモンド・ロータリークラブとの姉妹提携の話がもたらされた。リッチモンドクラブは1919年創立の由緒あるクラブで、会員数102名と当クラブとほぼ同じ規模のクラブであり、姉妹クラブ締結に熱心であった。その熱意におされてとんとん拍子に話が進み、1985年 (昭和60年) 6月28日、当クラブはリッチモンド・ロータリークラブと姉妹クラブの協定をとりかわすことになった。
姉妹クラブ締結式は、例会を30分短縮して午後1時より、リッチモンドから特別代表としてウィリアム・クリストファー・リッチモンド市教育長 (リッチモンドRC副会長)、およびナルスン・ビンガム・アーラム大学教授が来盛。当クラブからは会長小苅米瑞代はじめ会員約70名が出席し、中西武雄地区ガバナー立ち会いのもとでおこなわれた。


姉妹クラブ調印式



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