創立60周年記念式典  今日もロータリーの鐘が鳴る


盛岡ロータリークラブは、晴れて創立60周年の記念の日を迎えた。今や輝かしい栄光と数々の伝説に彩られ語り継がれてきた歴史であるが、クラブの歴史は決して平坦ではなかった。
わがクラブは1939年、 (昭和14年) 2月23日、太平洋戦争開戦前夜、わずか15名の日本最小のクラブとして誕生した。日本では34番目、東北地方では郡山、仙台に次いで3番目のクラブであった。しかし、時代はすでに戦時下であった。敵性語を用い秘密結社の誤解を受けた盛岡ロータリークラブは翌15年秋、わずか1年7ヶ月で自主解散に追い込まれてしまうのである。
特筆すべきは、例会が、あの不幸な戦時下にも途絶えることなく、しかも厳しい憲兵隊の弾圧や検閲を受けながらも、木曜会と改称され、密かに続けられたことである。戦後の食糧難の時代にも、会員は外食券を持ち寄って集まり、例会は続けられたという。1947年、木曜会の出席率が57%という記録もクラブには残されている。
1950年やっと盛岡ロータリーは第2次正式認証をうけて国際社会へ復帰。やがて経済復興を果たし、未曾有の祖国繁栄の時代へと進んで行くのである。
このころ、特別代表となった村井源一、安彦要、佐藤武夫会員は岩手県内外に、次々と子クラブ (釜石、青森、花巻、八戸、盛岡北、宮古、一関、久慈) など15クラブをつくり、ロータリー運動の新しい波を全県下に広げていったのである。
やがて爛熟期。ロータリーの組織は、全国津々浦々にまで及んでいった。ソ連邦の崩壊後はさらに全世界へと広がった。
今やロータリークラブは特別の存在ではない。しかしロータリークラブの歴史は、国際ロータリーの深い奉仕の理念と会員間の幾重もの深い友情によって築かれ、支えられ、維持されてきたものである。1998年の創立記念の例会の卓話で平井冽会員がいみじくも言われたように「先人が例会を続けられたことによって、今、盛岡ロータリークラブがある」のである。
今日もロータリーの鐘は鳴る。

岩手銀行旧本店



戻るトップ